1. 東日本大震災の概要

地震名 2011年東北地方太平洋沖
地震発生日時 2011年3月11日14時46分
震源地 三陸沖(牡鹿半島の東南東約130㎞付近)
震源の深さ 約24km
規模 マグニチュード9.0
震度 震度7=宮城県北部
震度6強=宮城県中部・南部、福島県中通り・浜通り
震度6弱=岩手県沿岸南部・内陸北部・内陸南部、福島県会津

2. 仙台市内の被災状況(仙台市発表)

建物被害 (10月23日現在)

全壊=26,368件、大規模半壊=20,996件、半壊=56,810件、一部損壊=103,230件

宅地被害 (8月19日現在)

被災宅地=4,031宅地(うち地盤のみ=2,133宅地、擁壁のみ=644宅地、地盤+擁壁=1,254宅地)

3. 各校の被災状況

大学:土樋キャンパス

所在地 仙台市青葉区
震度 震度6弱
被災状況

土樋キャンパスでは建物の被害が大きく、地震直後の寒さの中でもしばらくは屋外で待機するすべしかなかった。施設課職員による避難所としての体育館の安全確認が終わってから移動したものの、土樋キャンパス全体の被害状況が判明するまでは翌日を待たなければならなかった。余震が続く中、施設の中に入り、敷地内・外周りなどを点検し、立ち入り禁止などの措置が取られた施設も多かった。

老朽化が懸念されていた5号館の5階会議室では、震災当日全学教授会が開催されており、全教授が一堂に会していた。議事が順調に進む中、突然の強烈な揺れが襲った。幸い5号館は来るべき宮城県沖地震に備えて前年に耐震補強工事が終わっていたため、大きな被害もなく全員無事に避難することができた。

大学:泉キャンパス

所在地 仙台市泉区
震度 震度6弱
被災状況

泉キャンパスは地盤の固い丘陵地にある。そのため揺れが強かった分、土台の基礎部分と建物のつなぎ目の損傷が大きく体育館の基礎も大きな被害を受けた。特に大教室の中央部の天井がゆがみに耐えきれずに落下し、照明器具、空調機が飛び出したり、講壇の機材がケーブルごと引きちぎられたりと什器・設備の被害も大きかった。

しかし、春休み中ということもあり、人的被害はなく、当面の構内立ち入り禁止措置が取られ、後の復旧工事の着手を待つ状態が続いた。

大学:多賀城キャンパス

所在地 多賀城市
震度 震度5強
被災状況

多賀城キャンパスもまた他のキャンパスと同じく、建造物被害はもちろん工学部ならではの精密機械・計測器類の被害が大きかった。しかし、他のキャンパスと決定的に違ったのは、大地震で発生した津波が仙台港・多賀城市を襲ったことにより、キャンパスのすぐ近くまで津波が押し寄せたことである。これにより周辺住民が多く被災者となり、多賀城キャンパスは多賀城市からの要請を受け入れ、急遽礼拝堂を避難所として開放した。

土樋キャンパスとの連絡もままならない中、燃料や食料などの支援物資が届くまで多くの困難を乗り越えなければならなかった。

中学・高等学校

所在地 仙台市宮城野区
震度 震度6強
被災状況

東北学院中学校・高等学校では、6校時の授業終了直前の地震で、生徒はすぐに陸上競技場に避難、その後の津波情報を受け、校舎2階のウッドデッキに避難・待機した。雪がひどくなったため2階以上の教室で全員が待機した。幸い生徒・教職員に被害はなく、震災当日の学校内の宿泊者は700名だった。

被害の状況は、礼拝堂棟の鐘楼の接合部や廊下が破損、礼拝堂では天井化粧ボードが一部落下し、空調の吹き出し口カバーが落下するなどの被害があった。また、体育館倉庫の水漏れ、図書室内壁の一部のクラックなどの被害が生じた。立地の特性から外構の地盤沈下や地割れが見られ、それに伴いグラウンドの防球ネットの支線がゆがみ金具がずれたりした。

榴ケ岡高等学校

所在地 仙台市泉区
震度 震度6弱
被災状況

榴ケ岡高校は、当日は午前授業で、部活動で残っていた生徒・教職員が全員無事であることを確認したあと、全員下校した。震災で倒れた書棚や一部崩落した壁面などがあり、週明けの14日は臨時休校の措置を取り、教職員全員は集合して片づけを行った。天体観測室の主鏡が落下し破損するなど被害甚大。

幼稚園

所在地 多賀城市
震度 震度5強
被災状況

幼稚園では帰宅途中の園児と共に園庭に避難。その後、隣接する多賀城キャンパスの礼拝堂に避難したが、後に全員無事に保護者と共に帰宅。建物被害は特になく、園庭の東屋の下、階段上部の地盤が地割れの状態に。